よくザ・ピーナッツ(古すぎ?)やタッチのような一卵性双生児では、2人の性格は意外に違うと聞いたことがあります。
今回は、そんな似て非なるもの、つまり同じような顔をしていても、本質が全然違うものたちに登場してもらおうと思います。
神様カードのイラストを描いている娘の「一語一絵」というブログにこんなことが書いてありました。
「緊張感を持つのは、よい。萎縮するのは、よくない。
真剣になるのは、よい。深刻になりすぎるのは、よくない。
のんびりするのは、よい。だらだらするのは、よくない。
急ぐことは、よい。焦るのは、よくない。
頼るのは、よい。依存は、よくない
(中略)
物持ちが良いのは、よい。捨てられなさすぎるのは、よくない…」
などと続き、最後にこう結んでいました。
「そんな、似て非なるいろいろ。
全ては、バランス。」
確かによく、向こう見ずと勇気は表裏一体などと言われます。
向こう見ずと勇気では、大胆さの程度が、そして、真剣と深刻では、真面目さの程度が違うだけなのでしょうか。
このよく似た顔をした2つのエネルギーを、根本的に分けているのはいったいなんなのかをちょっと考えてみてください。
身近にこういう人がいませんか。
何かプレゼントを贈られた時、貰った途端、喜び感謝する前にいつどうやってお返しをしようかと考えてしまう人たちが。
そういう人はもらったタイミングが誕生日などの明らかな機会ではなかった場合、なぜ私にこれをくれるのだろうと考えてしまいます。
お返しが大変だから、もらわないほうがいいとまで思う人もいます。
まるでプレゼントが、貸したり借りたりするお金のような感じ。
お金が物に化けただけ…。
程度の差こそあれ、私も含めてこういう部分をみな少しは持っていると思います。
その場合、プレゼントをもらいっぱなしではなんとなく居心地が悪いので、めんどうくさいなあと思いながら、適切な価格で相手が気に入りそうなスカーフを選んで相手に送ります。
相手からもらったものに対して、あまりお値段に差があってもまずいし、お返しのタイミングを逃してはいけないし、などと考えながら結構内心には焦りがあります。
「ねばならない」の義務感を伴うこれが第一の反応です。
第二の反応は、この間は相手の気持ちがうれしかったなと思いながら、その人のことを考えて道を歩いていると、たまたまとっても彼女に似合いそうなスカーフを見つけます。
あ、これを彼女にあげたい! という思いがまずやってきます。
そして、このスカーフをつけたすてきな彼女を想像してうれしくなりながらそれを相手に送ります。
義務感からは完全に自由です。
この2つ、相手にスカーフを贈るという行為はまったく同じですが、贈った時の心もちが全然違います。
似て非なるものの「非なる」部分はきっとここなのだと思います。
心がこもっているのかいないのか、あるいはその考えや態度が意識のどういう場所から生まれているのか、究極、自分自身の真の「意図」は何かということに行きつくのではないでしょうか。