では私たちはどんな気持ちを感じることが、居心地が悪いのでしょう。
人それぞれだとは思いますが、一般的には、「怒り」「嫉妬」「悲しみ」「屈辱感」「傷ついた気持ち」でしょうか。
無視されたり、正当に評価されなかったときに感じる、あの言いようのない寂しさや、無力感も感じたくないものの一つです。
感じるのが辛いから抑圧することもあれば、嫉妬を感じるなんて品性が低いから感じてはいけないと、自分がジャッジして抑圧することもあります。
どこかで感情を表現すること自体が悪いことだと思いこみ、感情を抱くことそのものを恐れるようになったらもう大変! ゲームの「塊魂(かたまりだましい)」ではないですが、ごろごろと周りにあるガラクタを巻き込みながら、抑圧された感情の塊が巨大化していきます。
でもここで注意しておかなくてはならないのは、袋を作って入れたのは、あなた自身だということです。
生き残るためのあなた自身の選択です。
感情を表現してはいけないと決めたのは、退行催眠で思い出してみると、意外に幼いときの小さな出来事がきっかけだったりします。
たとえば、3歳頃にひどく転んで思いっきり頭をぶつけた男の子が、痛くて甘えたくてお父さんのところにワンワン泣きながら駆け寄ったとします。
ところがその時、たまたま「阪神タイガース命!」のお父さんが、タイガース 18年ぶりの優勝がかかった試合を真剣に観戦中だったとしましょう。
普段なら優しいお父さんもその時はもう無我夢中。
ほろ酔いも手伝い、おもわず彼をバシッと払いのけて「男はそんなことぐらいで泣くんじゃない!! 我慢するのが男だ!」と怒鳴ったとしたら、幼い彼の潜在意識に、どんなにつらくても泣いちゃいけないという信念が埋め込まれます。
泣くという行為は、「悲しみ」や「心身の痛み」を体の外に出すメカニズムですから、この出来事以降、彼は悲しくても、誰かに甘えたくても、そのエネルギーを「勘定袋」ならぬ「感情袋」に、40歳や 50歳になってもただひたすら貯めこむことになります。
感情エネルギーが、金塊だったらどんなに良いでしょう。
皆、すぐにミリオネアになれるのに。
抑えつけた感情の塊には重さがあります。
気が重いと言いますが、その通り! 鉛のようにずっしりと重いのです。
まず、湧いてきた「不適切な」感情の頭を、がっしり抑え込むのに、私たちは「気」という生命エネルギーを使います。
溜まってきたら重くなりますから、それをぶら下げてひきずって歩くにもエネルギーを使うし、袋から飛び出そうになる感情を注意深く見張り、モグラたたきのように、ピコン、ピコンと叩いて鎮めるのにも膨大なエネルギーを使います。
この状況を少し想像してみてください。
そんなしんどい思いを忘れたくて、私たちはアルコールや、食べ物や、お買いものや、ドラッグや、自分以外の人のお世話に奔走します。(私の場合はパソコンのソリティアです〈汗〉)
でも、いくらマヒしてもそれは一時的なもの。
感情袋の皮はどんどん硬くなり、中身は、マグマのようにだんだん圧が高まって、いつかドッカーンと爆発するのを待っているのです。
ゲシュタルトセラピーのフリッツパールズは、このメカニズムを、パターン ─ 行き詰まり ― 内破 ― 爆発 と4段階に分けています。
たとえば言いたいことを言わずにがまんするパターン(癖)が続いてしまうと、エネルギーが溜り過ぎてにっちもさっちもなくなり、内部崩壊が起きます。
それは絶望をひきおこし(やけになり)爆発的行動を誘発します。
爆発的行動は、外にむかえば「キレた」状態になりますし、内に向かえば深刻な鬱(うつ)や引きこもり状態になります。