


ヘナセレブレーションのセッション中に僕がいつも意識していることに「柄のバランス」があります。
クリアな祈りの意識&気持ちでヘナを描き入れることでヘナの効果の可能性をより引き出す ことは以前のエッセイにも書いたとおりです。
それに加えて「柄のバランス」を考慮することが、さらにヘナの力を引き出すと僕は確信しています。
僕は幼少の時から様々なバランスの取り方にとても興味を持っていました。
小学校の時には体の左右のバランスにこだわっていました。
例えば、登下校の時に水たまりなどを飛び越えて着地します。
着地した時、右足が先に着地すると左足が何か物足りないように感じていてその場で真上に飛び上がり今度は左足を先に着地させます。
そして最後にもう一回そのまま真上に飛び上がって両足同時に着地します。
この時、同時に着地できなかった場合はまた真上に飛び上がって交互に着地させて最後にまたジャンプして同時に着地させたのです。
最後にきれいに同時に着地出来たときは、体も意識も気持ち良くなってやっと前へ歩き始めるという、今思うとかなり変わった子供でしたね。(笑)
アメリカにいた 20代から 30代の時は色彩とその構成のバランスのみを通じて自分の気持ちを表現するという抽象油絵を描いていました。
そのシリーズでいくつもの個展もやらせていただいた程、真剣に取り組んでいました。
また同時期ですが海辺や河原の石を、バランスを取りながら積み上げていくことにも、はまっていました。
横置きに積み重ねていくのではなく、石を縦置きに積み重ねていくのです。
もちろん横重ねに比べると縦重ねは難しく、時間がかかりますが、石を両手で軽く支えながらバランスが取れる角度や接点を感覚だけで探していると、あるタイミングで石がスポッと積み重なるのです。
これを少なくとも3段重ねます。
天・人・地という意味です。
完璧にまっすぐ直線的に空に向かって建っているのではなく、それぞれの石がいびつに少しずつ傾きながら建っているのですが、よじれながらピタっと静かに空に向かって建つそのバランスに辿り着いたときは快感そのものなのです。(笑)
これを僕はバランシング・ストーンと呼ぶようになり、セドナではアート&アクションという耳の不自由な子供達の夏のキャンプで、バランシング・ストーン・ワークショップを2年間教えました。
幼い頃のジャンプ、20代からの抽象油絵、バランシング・ストーンをはじめ、まだまだ僕のバランスにこだわったおかしな行動はたくさんありますが、どれを通じてもバランスが取れた時の達成感といい、そのすがすがしさといい、その感動は至福の境地そのものです。
僕の体も喜んで元気になる気がしました。
今はそれが確信に変わっています。
僕たちの目では見えない自然界の神聖なエネルギーも、バランスが取れたものには “共響”(僕が創った言葉です)して働きやすいのではと思っています。
科学では証明されていませんが、そのバランスが取れたものと神聖なエネルギーとの共響の結果、そのものをはじめその周りまでもバイブレーションが上がり、壊れてかけていた原子の繋がりや細胞までも正常な状態に戻るのではと、僕はこれを僕の理想論として信じています。
バランスが取れたものを見るだけでも気分が上がるのは僕だけではないですよね。
バランスが取れたものを美しいと感じて引きつけられるのは僕たちの気持ちだけではなく自然界の法則もそうなのでしょう。
雪の結晶など自然界にある六角形も上下、左右のバランスが完璧な形のひとつです。
僕のヘナにおいても、その柄の中心になる六角形(6枚の花びら)のバランスをいかに完璧に近い所まで持っていくかが僕のヘナの基本です。
そしてそこから生まれてくる線で表される流れのような柄は、なるがまま自由に描いていますが、それも気持ちの良い柄全体のバランスを求めながら描いた深い集中力の結果です。
そして完璧に近いバランスが取れたと感じた時、その喜びが僕の全身を駆け巡るその時こそが完成の時です。
決して柄が宇宙から降臨してくるようなニューエイジチックなことではありません。
体全体と柄とのバランス。
描いている体の一部分のエリアの中での柄のバランス。
体の左右上下の中でのバランス。
体の曲線とヘナの線とのバランスなど。
柄を描き入れている時は、このような様々な角度からそのバランスを求めています。
なぜなら体の線や骨格だけに集中してそれに沿うように描いているとバランスが取れないのです。
例えば胸の真ん中にヘナを希望された時に柄の中心である花からの流れが左右対称に伸びていくとします。
そのような時に、鎖骨だけに沿って描いていくことだけに集中すると、バランスが取れないためになかなか描き終えらない時があります。
それは鎖骨が左右対称ではないからです。
顔、肩、腕、背中、腰、足など人の体はコンピューターで創られたような完璧に左右対称というのはあり得ません。
もしも僕の顔がコンピューターで計算されて創られたようなパーフェクトに左右対称であったら、たぶんロボットのように人間性の全く感じられない顔になるでしょう。
セドナに住んでいた時にナバホ族の友人が話してくれたことを思い出します。
彼の家族がネックレスを創る時、ターコイスなどの天然石のビーズを沢山使って左右対称ピッタリの数と色の組み合わせで創り上げていくそうです。
何時間にも及ぶ製作時間を経て、全て揃ったという時にわざとビーズをひとつ抜くそうです。
その理由を尋ねるとその一つ抜けた場所に祈りが入るからだと教えてくれました。
この世で完全なるパーフェクトのバランスを創造できるのは神様しかいない。
人間の能力を持って集中に集中を重ね、妥協を全くしない気持ちでパーフェクトなバランスを求めても、神様が創造されたバランスにまでは到底届きません。
だからこそ、神様の創造されるバランスの域に少しでも近づこうとするその集中力とその気持ちが祈りそのものになるということを僕は学びました。
幼い頃のジャンプに始まり、抽象油絵、バランシング・ストーン、サーフィン、ヘナ。
僕にとってはこれらのどれをとっても、それぞれにおいての調和のとれたバランスに辿り着くまでの過程が、『どうか喜びの快感を体験できますように』という祈りになっていることを確信します。
「人間は完璧じゃないから」という言葉をよく耳にします。
本当にそうだと思いますが、これを悪い意味とは僕は受け取っていません。
これは神様が人間に与えてくれたギフトだと思います。
自分は完璧ではないと考えさせられる時こそ謙虚な気持ちを思い出し、それはギフトだと感謝して理想に近づこうとします。
その気持ちこそが祈りそのものなのでしょう。
祈ることは宗教に属しているのではなく、人間として皆に平等に与えられている当たり前のことなのかもしれません。
| 1986年 | サンディエゴへ渡米 |
| 1989年 | ガレージ・バンド結成 |
| 1994年 | San Diego Mesa College Liberal Art 卒業後、抽象油絵画家として活動 |
| 1997年 | セドナへ移住。陶芸とガラス細工のアーティスト、パーカッショニストとして活動 |
| 1998年 | ヘナ・ヒーリング・アーティストに |
| 2000年 | 日本へ帰国。現在、ヘナ・ヒーリング・アーティスト、山根麻以+Visions のパーカッショニスト、通訳、セドナ・ツアーコーディネーターとして国内外で活躍中 |









