
■ 彫刻家 薬師寺 一彦 (Kazuhiko YAKUSHIIJI)
1968年大阪生まれ。1996年よりガラスやアクリル等の透明な素材を用いて、イルカやクジラ等の海棲哺乳類をテーマとした彫刻作品の創作を開始。 2002年より沖縄美ら海水族館で暮らす尾びれを失ったイルカ “フジ” のために、ブリヂストン社と共に世界初の試みである「人工尾びれ製作プロジェクト」に参加。2006年、ネイティブアメリカン、ホピ族の長老との運命的な出会いから新たにシルバー素材のジュエリーを手がける。現在個展を中心に活動をしている。
アーティスト名の「HARAKARA(はらから)」は、日本の古語で「仲間・兄弟」という意味。
アーティスト名の「HARAKARA(はらから)」は、日本の古語で「仲間・兄弟」という意味。
薬師寺さんの彫刻作品の中に、ちょっと不思議なトーテムポールの作品がある。空中に小さい赤ちゃんが浮いている。
アラスカを撮り続けた写真家、故・星野道夫さんに捧げるトーテムポールの作品だという。
── このトーテムポールはどういった作品でしょうか?
アラスカを撮り続けた写真家の故・星野道夫さんに捧げる作品として創り上げたものです。
実は、星野さんが亡くなられる直前、まだ、駆け出しの彫刻家の私は、
彼から励ましの言葉をもらったことがありました。
ジャンルが写真と彫刻と違えど、
尊敬する目標のアーティストだった星野さん。
彼が亡くなったと聞き、一時期は、彼のエッセイを読めない時もありました。
しかし、月日が経ち、“アラスカに行きたい” という思いが湧き上がり、
彼のエッセイを読み返すようになりました。
エッセイの中に、歴史の中から忘れ去られたように、ひっそりと朽ちるままに存在するトーテムポールを、星野さんが探すくだりがありました。
実は、星野さんが亡くなられる直前、まだ、駆け出しの彫刻家の私は、
彼から励ましの言葉をもらったことがありました。
ジャンルが写真と彫刻と違えど、
尊敬する目標のアーティストだった星野さん。
彼が亡くなったと聞き、一時期は、彼のエッセイを読めない時もありました。
しかし、月日が経ち、“アラスカに行きたい” という思いが湧き上がり、
彼のエッセイを読み返すようになりました。
エッセイの中に、歴史の中から忘れ去られたように、ひっそりと朽ちるままに存在するトーテムポールを、星野さんが探すくだりがありました。
故・星野道夫さんに捧げる
トーテムポール・創作途中段階
トーテムポール・創作途中段階
そこには、お墓となるトーテムポールがあり、長い年月の間、木々の種子がポールに舞い降り、人の養分も吸収し、新たな木として育つ姿が描かれていました。
読んでいて、なんだか、このポールが星野さんの生き様を表しているような気がして、いつしか、このポールをイメージした星野さんに捧げる作品を創り始めました。
読んでいて、なんだか、このポールが星野さんの生き様を表しているような気がして、いつしか、このポールをイメージした星野さんに捧げる作品を創り始めました。
── 実際にそのトーテムポールを見にいらしたのですか?
はい。
実際にエッセイの中で、描かれているそのポールをこの目で見るまでは、ずっと完成させることが出来ませんでした。
実際にエッセイの中で、描かれているそのポールをこの目で見るまでは、ずっと完成させることが出来ませんでした。
故・星野道夫さんに捧げるトーテムポール
アラスカの写真をバックに、作品を展示。
アラスカの写真をバックに、作品を展示。
バンクーバーから、小型機で、小さな村に移動し、泊まり、そこから、チャータの水上飛行機に乗り換え、ローズハーバーというさらに小さなキャンプ地へ、そして更にそこをベースに、ボートで約1時間行ったところに、その小さな島はありました。
“遠かった” と思いつつも、森を抜けたところに存在した実物のトーテムポールに出会った瞬間、そんな疲れは吹き飛びました。
実は、ここに来たかった理由がもう1つありました。
ここのトーテムポールの内、大きく立派なものは、バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学内の人類学博物館の中庭に移設されていました。
以前、その博物館を訪れた時、そのトーテムポールに近づくにつれ、このポールに以前出会ったような感じがしました。
一歩一歩近づくにつれ、自分がカヌーを降り、足を海につけ、貝殻や小石を踏みしめながら、島に上陸しているイメージというか、まるでデジャブのような感覚に陥りました。
“遠かった” と思いつつも、森を抜けたところに存在した実物のトーテムポールに出会った瞬間、そんな疲れは吹き飛びました。
実は、ここに来たかった理由がもう1つありました。
ここのトーテムポールの内、大きく立派なものは、バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学内の人類学博物館の中庭に移設されていました。
以前、その博物館を訪れた時、そのトーテムポールに近づくにつれ、このポールに以前出会ったような感じがしました。
一歩一歩近づくにつれ、自分がカヌーを降り、足を海につけ、貝殻や小石を踏みしめながら、島に上陸しているイメージというか、まるでデジャブのような感覚に陥りました。
薬師寺さんとトーテムポール
そのポールが元々立っていたのが、星野さんのエッセイの中のこの島だと知ったのは、ずっと後のことでした。
そして、あのポールが元々立っていたのが、この浜辺だったんです。
感動的な、どこか懐かしいような、幸せな時間でした。
ポール達ともじっくりと向き合うことができ、そうして、作品を完成することができました。
そして、あのポールが元々立っていたのが、この浜辺だったんです。
感動的な、どこか懐かしいような、幸せな時間でした。
ポール達ともじっくりと向き合うことができ、そうして、作品を完成することができました。
── 上に浮いている小さな赤ちゃんみたいなのは?
それは、“ミチオくん” って僕が勝手に呼んでいるんですけど。
── 星野さんご自身なのですね。
星野さんをイメージして彫りました。
トーテムポールの柄も自分で考えました。
カナダ、アラスカの先住民の文化的な色合いの濃いトーテムポールを日本人の私がテーマとして創っていいものかと悩んだこともありましたが、出来る限り真剣に取り組みました。
紋様も星野さんをイメージして、デザインしました。
トーテムポールの柄も自分で考えました。
カナダ、アラスカの先住民の文化的な色合いの濃いトーテムポールを日本人の私がテーマとして創っていいものかと悩んだこともありましたが、出来る限り真剣に取り組みました。
紋様も星野さんをイメージして、デザインしました。
アラスカにて
一番下にクマが座り、そのクマの膝の間に人間が守られているように座り、クマの耳の中には、フクロウ達がいて、その上にワタリガラスとオオカミ、そして、生まれ変わりを司る精霊がいます。
そして最後にポールの裏側を磨き上げ、透明にしました。
その透明な部分から作品を眺めた時に、創って良かったと思えてきました。
まるで、ポールの中に入り込んだような感覚がしたからです。
あの村で出会ったお墓のトーテムポールのもう一つの顔を表現出来た気がしたからです。
“私にしか創れないものになったな” と、その瞬間ようやく思うことができました。
この作品を一度アラスカに持って行くつもりです。
そして、その後、星野さんの奥様の直子さんに差し上げる約束をしています。
そして最後にポールの裏側を磨き上げ、透明にしました。
その透明な部分から作品を眺めた時に、創って良かったと思えてきました。
まるで、ポールの中に入り込んだような感覚がしたからです。
あの村で出会ったお墓のトーテムポールのもう一つの顔を表現出来た気がしたからです。
“私にしか創れないものになったな” と、その瞬間ようやく思うことができました。
この作品を一度アラスカに持って行くつもりです。
そして、その後、星野さんの奥様の直子さんに差し上げる約束をしています。
故・星野道夫さんに捧げるトーテムポール
── 赤ちゃんは、再び生まれ変わる時を静かに待つ星野さんの魂なのですね。
清らかで力強い、美しい作品です。
写真家、星野道夫さん公式サイト
裏側から撮影されたトーテムポール













