祟り神? それとも偉大な神?

神様への敬称には、様々なものがあります。一般的に良く知られているのは、天照大神のように「大神」というものがありますが、他にも「大明神」というものもあります。今回は特定の神様というよりも、あまり知られていない神様の敬称について紹介しましょう。

天照大神の例を見てもわかるように、純粋に古くから伝わっている神道の御祭神は「大神」という敬称がつくことが多いようですが、一柱の神様を示すのではなく、複数の神様の総称を表すものとして「明神」が登場しました。

例えば、春日大社の御祭神は「建御雷命、経津主命、天児屋根命、比売神」の総称として「春日神」とされていますが、春日大明神と呼ばれることもあります。また、住吉大社も「底筒男命、中筒男命、表筒男命」を「住吉大明神」としています。

春日大社や住吉大社といった大社に祀られている神様が大明神と呼ばれることが多かったために、知名度が高く、多くの信仰を集める神様が大明神と呼ばれていましたが、「本地垂迹説」が登場したことで、「大明神は仏教の仏様の化身である」という説も登場しました。

仏教はこのように、化身として他の宗教の神様を取り入れるのが得意であり、ヒンドゥー教の神様などと同じように、神道の神様も取り入れようとしたのではないかと考えられています。その一方で、中世に神道を統括し、神職免状を発行していた吉田家の吉田神道が神様にたいして「明神号」を授けるということも行われていたということもあり、完全に仏教由来のものかというと微妙なのではないかという説もあります。

では、なぜ、大神と明神が存在しているのか? 前述したように大明神は敬称として使われていましたが、「明神は、祟り神を示すものだった」という説があります。神道では、菅原道真や崇徳上皇など怨みを抱いて亡くなった貴族を神様にすることで、その荒魂を慰めるということが行われていましたが、そういった祟り神を明神としたというのです。

しかし、菅原道真も崇徳上皇も明神と呼ばれていないことを考えると、この説は神田明神や築土明神といった平将門由来の神社が明神と呼ばれていることから考え出されたものの可能性が高いのです。平将門は祟り神として有名ですので、それを元に明神=祟り神と考えたのでしょう。

なぜ、平将門由来の神社が明神になるのかを考えると、江戸時代に様々な神社などを配置することで霊的な守護を作り出したと言われている「太田道灌が僧侶だった」ことが関係しているように思います。神仏習合的な存在としての明神を採用したのではないでしょうか?

さまざまな説が存在している明神。果たして、その本性はどんなものなのか? 興味のある方は御祭神が明神の神社を訪れたならば、しっかりとそのエネルギーを感じてみてください。