死後の世界を探求し、神道の新しい潮流を作り出した人物

神道というのは、日本独自の宗教ですが、その成立が古いだけあって時代ごとに様々な変化が加わっています。時代によって神道をリードする家系があったりするのですが、そんな中で古来の神道を復活させたとして、現代まで影響を与えている人物がいます。

その人物とは「平田篤胤(ひらたあつたね)」。江戸時代後期に秋田県に生まれた篤胤は、20歳には国元を飛び出し、江戸へと向かいます。無一文で上京したは、5年ほど様々な仕事に就きながら勉学を重ねるという、現代でいうところの苦学生でした。

しかしながら、その勤勉な態度が認められたのか、兵学者であった武士の養子となることになり、その紹介によって武家の娘と結婚することになり、25歳を過ぎてからようやく安定した生活を手に入れました。

ちょうどその頃、国学者として有名な本居宣長の存在を知り、その著作から強烈な影響を受けます。しかしながら、すでに彼は亡くなっていたために夢の中で本居宣長に出会い、そして弟子になることを許されたという主張をし、「没後門人」を名乗ります。

このような夢の中で師匠に出会い、そこで得たメッセージを元に弟子になるというのは、古神道や神仙道ではよく聞く話ですが、その元になったのは平田篤胤といえるでしょう。そもそも、現代に伝わっている古神道の概念はほとんどが篤胤によるものなのです。

本居宣長の影響を受けた篤胤は、ある程度生活が安定したこともあって、ものすごい勢いで研究をはじめます。特に彼が重視していたのは死後の世界だといわれています。古今東西の死後の世界を研究し、日本における死後の世界を「幽世」と定義し、それをすべるのが大国主命であると考えたのです。

勉強家であった篤胤は筆も速かったようで、150冊以上の著作を残しています。中には生活が苦しく出版できなかったものもあるということですので、彼がどれだけバイタリティと知識欲に溢れていたかがわかります。

当初は本居宣長の影響が強かったのですが、天狗に攫われて現世に戻ってきたとして有名になった天狗小僧寅吉に出会ったことで、よりその著作は神秘的なものになっていきます。仙人の研究をはじめたり、道教や易学、さらには神代文字や漢字の起源なども研究していたそうです。

スピリチュアルな世界や、古神道では、天之御中主神が創造神であるという説がありますが、これは平田篤胤がキリスト教の知識を持っていたために、そこに含まれた万物の創造神という発想を神道にあてはめた結果導き出されたものなのです。

平田篤胤が提唱したこのような思想は、「復古神道」として、多くの人に影響を与え、明治時代には平田派と呼ばれる流派が非常に高い人気を得ていたのですが、国家神道が成立するにしたがって、その影響力はどんどんと低下してしまいました。

戦後になってスピリチュアルな分野が注目されるようになるようになったことで、平田篤胤の復古神道は再度脚光を浴びるようになり、現代でもその思想は生き続けていることからも、篤胤がスピリチュアルな偉人であることがわかるでしょう。