荒らされた鎮魂の聖地

沖縄といえば、有名な「セーファー御嶽」を初めとして、様々な聖地が存在し、独特の精神的な文化を伝える土地としても知られています。そんな沖縄で鎮魂のための聖地が荒らされるという痛ましい事件がありました。

今回荒らされた場所は「チビチリガマ」。本土の人間からすると不思議な名称であり、御嶽の仲間かと思いますが、「ガマ」とは鍾乳洞をあらわします。鍾乳洞の内部は気温が一定していることから、暑い沖縄では住民達の憩いの場として使われていたこともあるそうです。

そんな鍾乳洞がなぜ鎮魂の聖地になったのか、それは1945年、第二次世界大戦終戦直前に沖縄での戦闘によって、チビチリガマで多くの人が自らの命を絶ったことが原因です。戦時中には、避難場所として使われていたこともあり、アメリカ軍が上陸したときには多くの人がチビチリガマに避難していました。

当時の人々は、日本とアメリカの戦力差を知らされておらず、チビチリガマに籠城して竹槍で戦おうとしたものの、機関銃などをもったアメリカ軍の圧倒的な戦力を前に、すぐに戦意喪失することになります。そんな状況と民間人が多かったことから、アメリカ軍は降伏を勧告したものの、出て行ったら殺されるという思い込みによって、最終的に親が子を殺し、さらに自決するという極めて痛ましい状況に発展してしまったのです。チビチリガマに避難していた人たちは139名、その中で自ら命を絶ったとされるものは82名。その半分が子供だったということです。

あまりにも痛ましい出来事から、戦後、チビチリガマは自決した80名あまりの墓所であり、鎮魂の為の聖地として立ち入り禁止となっていました。実際に彼らの遺骨などはチビチリガマに安置されており、避難時に持ち込まれた急須や包丁などといった日用品も遺品として残されたのです。

戦争という悲劇を忘れず、それによって失われた尊い命に祈りを捧げる場所として、70年以上にわたって大切にされてきたチビチリガマですが、9月11日から12日未明にかけて、かつてないほど荒らされてしまいました。

入口の看板や、かつて破壊されたものの再建された「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊され、過去の歴史を学びに訪れた学生達によって奉納された千羽鶴は引きちぎられ、内部の遺骨はバラバラにされ、遺品となった瓶や壺は割られ包丁はねじ曲げられるという、徹底的で悪意に満ちた荒らされ方に多くの人が衝撃を受けました。

現時点でも犯人は明らかになっていませんが、戦争の犠牲者たちを21世紀になってからこのような形で踏みにじるというのは、どのような理由や主義主張があれ許されるものではありません。多くの人の祈りと哀しみが込められた聖地を荒らしたということで、スピリチュアルな観点からすると、犯人には非常に重いカルマが背負わされたわけですが、来世で苦しむ前に、しっかりと現世でも罰を受けて欲しいものです。