病気と性格の関係を追究したフラワーレメディの創始者

COCORiLA読者の方で、フラワーエッセンスを知らないという方は少ないと思います。現在では世界中で何百種類と存在しているエッセンスの元祖を作り出した人物がいます。

フラワーエッセンスを初めとする、様々なエッセンスの元祖といえる「バッチフラワーレメディ」を開発したのが今回紹介する「エドワード・バッチ博士」。

バッチ博士は「すべての病を癒す方法を」見つけ出すために、医者となり、さらに細菌学者としても研究を進め、腸内バクテリアから開発したワクチンで、インフルエンザを予防するなど、高い名声を得ていましたが、一般的な医療で使われる薬の使い方にたいして、病気の症状よりも、その人の考え方、すなわち性格にあわせたものを処方することが必要ではないか、という考えをもっていました。

そのような思想を持っていたために、ホメオパシー病院に勤めるようになり、レメディーを作るための基礎となる部分を学びます。それをベースにして、症状に働きかけるのではなく、精神に働きかけるための3種類のレメディを完成させたわけです。

実際にこの3種類のレメディを利用して治療を行い、ある程度の結果が出たことから、より多くの性格に対応できるように研究を進め、4年間をかけて12のレメディを発見、さらに現代でもベストセラーとなっている「レスキューレメディ」を完成させています。最終的に最初のレメディを作ってから7年間をかけて、すべてのバッチフラワーレメディを完成させて、その翌年にバッチ博士は永眠しました。

医師としては国立病院で働くだけの技量をもち、細菌学者としても名声を高め、ホメオパシーでも王立病院で働くという、まさに順風満帆といった人生を送っていたバッチ博士ですが、31歳の時に余命三ヶ月といわれた癌を克服するという経験をしたことが、病気は心の持ちようで癒すことができるという基盤を作ったのではないかといわれています。そんな九死に一生を得るという経験があったからこそ、43歳ですべての栄光を捨て去り、レメディの開発にすべてを捧げることが出来たのかも知れません。

「バッチフラワーレメディは人間の魂の本質的なものをすべて満たしており、これだけで完全であるので、このシンプルさを保つように」という遺言を残したバッチ博士は50歳という若さでこの世を去りました。

遺言に残すほど、すべてをレメディに捧げた人生だったといえますが、それだけの情熱を注いだからこそ、現代でも多くの人にバッチフラワーレメディが利用され、癒されて、さらにそこから発展した様々なフラワーエッセンスが人々を癒していることを考えると、バッチ博士は掛け値無しのスピリチュアルな偉人といえるでしょう。