「男性同士の恋」といえば、現在ではずいぶんと受け入れられるようになり、女性向け小説では、ひとつのジャンルとして成立しているぐらいですが、日本では男性同士の恋、いわゆる男色というのは、とても、一般的だった時期があるのです。

男色の文化が一般的になっていったのは、戦国時代から江戸時代にかけてといわれています。戦国時代の武将は、「小姓(こしょう)」と呼ばれる、雑用係兼秘書を身近においていたのですが、彼らを男色の対象としていた人は多かったといわれています。戦国武将が重んじる武士道が、女性を排除した戦闘的なものだったこともあり、男性同士の恋愛は当然の物であり、武士道に反するどころか、ある意味推奨されるぐらいだったのです。

そんな戦国時代が終わり、平和な江戸時代が到来すると、男色は庶民にも広がり、モテる男は、女性だけでなく、男性も愛するのが当然、という風潮が到来しました。このあたりまでは、男性同士の恋愛は、倫理的に問題があるとは思われていなかったのですが、明治時代以降、西洋的すなわちキリスト教的な価値観が入ってきたことで、異端視されるようになってしまいます。

キリスト教では男色を異端として、成立時から排斥してきましたが、その他の宗教でも、表だって男色が推奨されることはありませんでした。しかしながら、男色という行為自体に、神聖な意味合いを見いだしていた形跡が日本の宗教には残っています。

日本最古の男色は、日本書紀に書かれている「阿豆那比(あづなひ)の罪」だという説があります。これは、ある時、昼でも夜のように暗いという異変が何日も続き、その怪異の原因を調べたところ、「小竹祝」と「天野祝」が同じ墓に入っているのが原因であるとわかったのです。

この二人は「祝」という名前からもわかるように、神官であり、小竹祝が死んだのを悲しんだ天野祝が後を追ったといわれているのです。ただし、阿豆那比の罪が男色を指すわけではありません。どちらかというと、異なる神に仕える神職を同じお墓に納めたことを指すのではないかという説が有力です。

実は神官二人の性別も書かれていないので、果たしてこれが男色といえるのかは微妙なところなのですが、男性だとしたら神に仕えるものが、後追いで死ぬほど深い愛を同性で育んでいた、ということになります。

戦国時代までは、男色といえば仏教寺院で行われるものが最もポピュラーでした。なぜなら、仏教には「女犯(にょぼん)」という罪があり、女性と交わることが禁止されていたからなのです。そのために、近くにいる弟子などを代用として使ったというわけです。

しかしながら、単に女性の代用としたのではなく、男色を神聖なものとして行っていた、という説もあります。天台宗の開祖である最澄は、現在でも天台宗の総本山として残っている「比叡山(ひえいざん)」に初めて登った時に、十禅師神の化身した少年に出会ったといわれています。神仏は少年の姿をして現れると考えられていたのです。つまり、僧侶の間で男色の対象とされた少年は、単なる女性の代用ではなく、神仏の依代(よりしろ)であり、神聖な存在だということになります。

こうやって見てくると、なんとなく背徳的なイメージのある男色が、古来はさほど特別なものではなく、場合によっては神や仏と繋がる為の儀式であったことがわかると思います。最近、女性の間で男色のマンガが流行しているというのは、キリスト教的な価値観が薄れ、日本の本来の文化が戻りつつある兆候なのかも知れません。