Photo by Ernst Vikne
≪ Photo by Ernst Vikne ≫

第5回目の講座は、ロサンゼルスの小学校で起きた「いじめ事件」を事例にあげ、「心の器」についてお話を進めていきたいと思います。
心」というものは、本当に計り知れないものであり、とてつもなく「自由」です。
その「自由な心」は天まで届いているため、「心の器」が大きい人は、天の神の如く慈悲深く、愛情に満ち溢れています。

私は、11年前に、そのような「心の器」が大きい女性に出会い、とても感動したことがあります。
その人は、当時長女が通っていたロサンゼルスの小学校の副校長先生でした。

その副校長先生と面と向かって話すことになった理由は、朝の9時に副校長先生から突然、
「前日に起きた学校での“いじめ事件”に対し、親のサインがされている謝罪書が提出されていない」という用件で電話をいただいたことがきっかけでした。
「もし、お子さんの説明でご理解できないようであれば、私がご説明させていただきますので、本日中に学校にいらしてください」とさらに付け加えてきました。
そのため、私たち夫婦は慌てて学校に出向き、事情を伺うことにしました。

副校長先生は、前日の体育の授業で起きた「いじめ事件」について詳しく説明をしてくれました。その日は、気温が高く暑い日にもかかわらず、体育の授業はグランドで行われ、授業の終り頃には、子供たちの喉がカラカラに渇いていたとのことでした。
そこで、体育の先生は、「このまま全員が水飲み場に走ったら、けが人が出るかも知れない」と思い、「水飲み場まで走らないこと。もし一人でも走ってルールを犯したら、全員が責任を取って、この出発地点まで戻ること」と言い渡し、授業を終了したとのことでした。
ほとんどの生徒が、急ぎ足で水飲み場に向かい、誰一人走る子はいなかったにもかかわらず、
水のみ場に近づいた途端、一人の男の子が我先に水を飲もうとして走り出したそうです。
そこで先生は約束どおり、笛を吹いて、全員スタート地点に戻るように促したそうです。

ところが、子供たちは、誰一人として戻りたくないため、数人の男の子たちが走った男子に殴りかかりボコボコにしてしまったそうです。そして、他の子たちは、誰も止めようとせずに、彼らの周りを囲んで野次を飛ばしている子もいたり、ただ見ているだけの子もいたそうです。
そこに、体育の先生がやってきて止めに入り、その場は収まり、その問題をホームルームに持ち込むことになったとのことでした。

「そこで担任の先生は、殴った子どもたちと、その周りで野次を飛ばした子どもたち、さらに見ていただけの子どもたち全員に、殴られた男子(走った子)に対して謝罪をさせました。
そしてその上、子供たちには「学校での出来事を親に話し、それを理解してもらい、子供の行為に対して、親にも謝罪書にサインをしてもらい、その書面を翌朝のホームルームに提出すること」と、生徒全員に言い渡してその日の授業を終了しました。
ところが、翌朝のホームルームのとき、あなたのお子さんと、もう一人のお子さんの親がサインをしていない謝罪書を担任の先生に提出したため、私がお電話をさしあげました」と、副校長先生は事情を話されました。

私は、説明を受けて事情は理解できたのですが、どうも納得がいかなかったため、副校長に次のように訊ねてみました。「先生、走ったその男の子がルールを犯し、皆に迷惑をかけたのですから、その子が皆の前で謝罪し、さらにその子の親に、二度と同じことをしないように注意していただくようにお伝えすれば、それで済んだのではないでしょうか?なぜ、その反対の行為をしたのでしょうか?」と。

そしたら、副校長先生は次のように話されました。
「ミスター&ミセス小林、子供というものは「走るな」といっても「走る」のが子供です。
先生や親の目を盗んでは、子供はルールを犯すものです。
あの男の子は、ルールを犯したことに対して、すでに皆にボコボコ殴られて痛い目に合い、
「自分の犯した罪」を償いました。
彼の心は、「自分が悪いことをした」と深く反省し、「皆にも迷惑をかけてしまったから二度と同じことをしてはいけない」と、誓ったはずです。
それ以上、彼を責める必要はないでしょう。

しかし、学校側が、この小さな事件を簡単に見過ごすわけにはいかない理由があるのです。
それは、「ルールを犯した子は、殴られても当然だ」ということを認めるわけにはいかないからです。それを認めてしまったら学校は、「子供たちの“いじめ”の戦場」になってしまいます。
「学校というのは、子供たちが皆で仲良く遊んで、仲良く勉強しながら一緒に成長する場所です。
子供たちは悪いことも良いこともします。ルールも犯します。時には喧嘩をし殴り合いもしますが、助け合いもし、許し合いもします。それが子供というものです。
そうしながら皆で一緒に遊びや学びをして子供たちは共に成長していきます。
だから、学校は子供たちの成長の場なのです。
そのため、あの出来事で、「今日の友」が、「明日は敵」になってはいけないのです。
もし、学校側が走った子だけが悪い、キミは悪いことをしたのだから、殴られても当然だと認めてしまったら、そして殴った子供たちや、それを止めないで野次を飛ばしたり、ただ見ていたりした子供たちに何の反省も促さなかったら、暗黙の了解で動物的行為(強い動物が弱い動物を襲うこと)を認めてしまうことになります。
そうなれば、学校は子供たちの戦場になってしまい、あの男の子は 「いじめの対象」となり、学校を嫌いになり、学校にきたくなくなるでしょう。
もし学校に来たとしても、何かしようと思うたびに、みんなの眼を気にして、いつもびくびくして、自分の考えを間違ってもいいから堂々と発言することもしなくなり、行いも気になり、窮屈さを感じ、学校というところが居心地が悪いところと思うようになり、学校が嫌になるでしょう。
将来性のある偉大な子供の成長を妨げるような、暗い心を子供に宿らせるようなことを教師や親がしてはいけないのです。
そのため、学校では、先生と生徒が皆でこの事件に対して正しく反省をしなければならなかったのです。そして、殴った子供たちも、野次を飛ばした子供たちも、見ていた子供たちも、殴られた男の子全員が、自分の罪を認めて謝ったときから、また友として一緒に遊び、学ぶ環境が子供たちには必要なのです。
家庭でも子供と親が学校であった出来事をよく話し合っていただき、二度と“いじめ事件”が起きないようにするためにも、ご両親にも謝罪書にサインをして同意していただくことにより、学校側と父兄側が一体となって、子供たちにより良い環境で、遊ばせ、学ばせることができるのです。ご理解いただけましたでしょうか?と副校長先生に言われて、私は「なんて自分の心は狭いのだ」と気づかされました。

私は、小さい時から、悪いことをした人は、殴られても怒られても当たり前であり、親や先生が怒っても、殴っても、それらを止める行為をしてはいけないというような環境で、時として皆の目を気にしながら育ち、小学校から高校まで、というより大人になっても、そういうことが当たり前のような環境で暮らしていました。32歳で渡米し、あの副校長先生に出会い、心の器の大小がこんなにも違うのかと気づかされました。

その時、私は先生たちの考えと行いにとても大きな愛と慈悲の心を感じることができました。
我が子がこのような素晴らしい教育者たちがいる学校で遊び、学ぶことができることに感謝をしました。もし、我が子があの男の子ようにルールを犯したとしても、あの子と同じように我が子の心も救ってもらえるだろうと思ったとき、胸が熱くなり、感動の思いで私の目からは涙がこぼれ落ちていました。
同時に、「何と自分の心の器が小さいのだろう」と思い知らされ、悪いことをしたから殴られても仕方がないと思った心を悔い、殴られた子の気持ちを少しも考えてあげなかったことに情けなさを感じ、我が子は見ていただけだから謝ることがないなんて思った心に恥、なんと自分の心は狭く自己中心だったんだろう」と、深く深く反省をさせられました。

この経験で私は、「責める心」よりも、「助ける心」で、人の「心を救う」ことができることを学びました。そして、私はあの時、「副校長先生のような“心の器”の大きい人間になりたい」と心に誓ったことは今でも昨日の出来事のように覚えています。

教育の立場に立つ先生たちと、子供たちの親たち、そしてまわりの大人たちすべてが、「ひとり一人の子供たちの心をもっと真剣に理解してあげて、「子供たちをイキイキ生かす」ためには、どうすべきかを、心を一つにして愛と慈悲の「心」で「行い」を正して、子供たちがスクスク育つ環境を作っていくことが、偉大な子供たちを育てていくことができ、子供たちに明るい未来のある世の中を与えることができると考えます。
今日本で起きているような“いじめ事件”を解決するためには、「責める心」より、「助ける心」で、
子供たちの「心を救っていく道」しか残っていないでしょう。

子供たちは、親、先生、大人の考えと行いを鏡にして、その環境で育ち、大人に成長して行っています。
子供たちに、いじめを起させる環境や、自殺をさせる環境を作っているのは、大人たちではないでしょうか?
親が、先生が、大人が今、心の器の大きさを求められています。
誰もが、愛と慈悲の心が備わった大きな器で生まれてきているのですから、勇気を出して、その「本当の自分」を取り戻し、我が心と子供たちの心を救っていきましょう。

次回は、陰湿ないじめに合い、中学2年と3年を登校することができず、学校の代わりに精神病院に通わされ、2年間薬漬けになり、心も体もボロボロ状態になっていたMちゃんが「本当の自分」を取り戻し、あっという間に元気になったお話を事例に挙げて、「心の器」について講座をすすめていきたいと思います。

■ Miko 小林 プロフィール
Miko 小林スパプロデューサー・コスメトロジェスト・ナチュラリスト・スピリチュアリスト。日米合わせて、美と健康の仕事に 38年携わる。自然志向で、1989年以降オーガニックな食生活を始め、自然の中に、人間として生きる力「美」と、行動する力「健康」を見出し、医療に「依存しない」生き方で、元気に輝きながら幸せを感じて仕事と生活をしている。ストレス解消や疲労回復の場と共に、フェイスやボディを磨くためのデイスパ「トータルビューティー&ヘルスの創造」を目的としたサービスを展開し、アメリカと日本の架け橋を作るという目的でラ・クラーテジャパンを設立。美と健康のためのスパ施設のプロデュースを数多く手がける一方、世界のスパを巡りスパ体験をしながら「スパの勧め」の記事を 100回連載(エステティックジャーナル紙)。ココロとカラダの美と健康講座 講師。