今とは違う巫女のイメージ

皆さんは「巫女(みこ)」というと、どんなイメージを持つでしょうか? フィクションの世界では神聖で汚れない存在というイメージが一般的なようですが、古い時代の巫女というのは神聖な存在ではあっても、現在とはちょっとイメージが違っていました。

以前に 傀儡師(くぐつし)について紹介 した時にちらっと触れましたが、古代の巫女は聖なる存在でありながら、不特定多数の男性と関係を持つ娼婦(しょうふ)でもあったのです。

今から 7,000年以上も昔、世界で最も古い文明の一つと言われている「古代メソポタミア文明」の時代から、巫女であり娼婦であるという存在はいたと言われています。現在では、彼女たちを神聖娼婦(しんせいしょうふ)などと呼んでいますが、当時は神聖な儀式を行う存在であり、まぎれもなく巫女であったのです。

彼女たちは神殿に寄進をしたものに、神のエネルギーを授けるために関係を結ぶ、という役割を担っていました。対価を受け取って男性と関係を結ぶというのは、現在の娼婦と全く同じ構図ではありながらも、これらの行為は神聖なものであり、彼女たちの地位もとても高いものだったと言われています。

ギリシャでは神聖娼婦は、女王のように尊敬を集め、実際に女王にまで上り詰めた人も何人もいるそうです。また、エジプトの神聖娼婦は、一夜を過ごす代償として男に全財産を出させたのだそうです。ギリシャ神話や、日本神話などに見られるように、神々自体が現在のように性を抑圧することをせずに、奔放に行動していることから、古代では、今とは全く違った観念で人々が生活していたことがわかります。

現在では娼婦というと、卑しい仕事として見下されることが多いわけですが、そもそも神道や仏教において売春を悪とする思想は基本的にありません。直接巫女が行うわけではありませんが、明治時代前ぐらいまでは、神社のお祭りで不特定多数の相手と関係を持つというのは、比較的頻繁に行われていたとも言われています。

そのような状況が変わったのは、キリスト教的な、性を悪とする思想が西洋から流入してきたことがきっかけなわけですが、そのキリスト教も元を正すと、娼婦などを卑しむことは無かったのではないかと言われるようになってきました。聖書でイエス・キリストは、売春婦に対しても広い心を示しますし、聖書にたびたび登場する「マグダラのマリア」は、売春婦であったのではないかという説まで提唱されるようになっているのです。

単に快楽を得ることを目的とした性の乱れが嘆かれるようになっていますが、こういった状況になったのは、神聖娼婦が担っていたような、性というものの本質を伝える役割が、汚らわしいものとして消滅し、画一的な思想に支配されたのが原因のようにも思えます。古代の神聖娼婦だった巫女さんは、現在よりもより強く神のエネルギーを体感でき、そしてそれを人々に伝えていたのかもしれません。