日本の時間の基準とは?

日本の時間が統一された。こう聞くと不思議なイメージを受ける人がいるかもしれません。広大な土地があるアメリカや中国のように国内で時差があるわけではないし、もともと一緒だったんじゃないの? そう思う人が多いでしょう。しかし、実際は日本にも時差は存在していたのです。

昨日7月13日は「日本標準時制定記念日」。これはそれまでに各地でばらばらだった時間を統一し標準時が決定された日なのです。

以前紹介したように、平安時代には時間というのは 陰陽師が管理している 特別なものでした。庶民は太陽の動きなどを観て大体の時間を把握していたわけです。

しかし、時計がより正確で一般的な物となるに従って、太陽で時間を把握するというのは季節によってズレが生じるということがわかってきます。そこで、太陽ではなく時計を元にした時間が取り入れられるようになりました。これは西暦 1880年頃のことと言われています。

時計を元にした時間を取り入れたものの、実は地方ごとでその時間はまちまちでした。なぜなら、この時点では時計を合わせる際にはどうしても太陽を参考にしなければならなかったため、同じ日に日本各地で時計を合わせたとしても、九州の西と北海道の東では1時間以上の差が発生してしまうためです。つまり、この時点では日本にも時差が存在していたのです。

時差が存在していたといっても1時間程度のことで、現在のように電話やネットなどの高速な情報伝達手段が無かった時代ですので、人々の生活には特に問題がありませんでした。当時の連絡手段は手紙がメインだったので、どんなに頑張っても1時間以内に九州から北海道まで届けることはできなかったわけです。

当初はそれで問題が無かったのですが、電信というモールス信号によって遠隔通信する技術が発達してきたため、時差の範囲内で連絡が取れるようになってきます。すると、九州の人が 11時に「12時までに~をしてください」という電信を北海道に送ると、届いた時には北海道はすでに 12時を過ぎているというような状況が発生するようになりました。そこで、とりあえず電信局は全て東京時を標準とするなどの対応をしていたようなのですが、それでは根本的な解決にはならないということもあり、日本標準時を設定することになりました。

この標準時に選ばれたのが兵庫県明石市で使用されていた明石時です。なぜ、首都である東京時を採用しなかったのかというと、西暦1884年に開かれた国際会議で、各国はできるだけ子午線の度数が 15 の整数倍の所の地方時を使用する、という決定が出たためです。この会議の結果を受けて西暦1886年7月13日に東経 135度線が通っている明石時が日本標準時として定められたのです。

ちなみに、ここにはスピリチュアルな意味合いも見いだすことができます。この東経 135度線は明石市のすぐ側にある淡路島も通過しているのです。淡路島といえば、日本神話において日本で一番最初に誕生したとされている土地。

古事記では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と記載されている淡路島は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が国産みをしたときに一番最初に生まれてきたとされているのです。つまり、首都が存在している本州よりも先に小さな淡路島が生まれていたわけなのですが、標準時を決めるときに本州ではなく、淡路島の近くの明石が選ばれたことにはなんだか偶然ではないものがあるように思えないでしょうか?