現代社会と老荘思想(18)

「小魚を煮るように」

「大きな国を治めるには、小さな魚を煮るようにするのが良いのだ。」

老子道徳経 第 60章

小魚を煮ながら、突いたり動かしたりすれば形が崩れてしまうもの。

そんなときは、やたらと手を出さないことが役に立つのです。

教えと称して世間の言っていることは、ああしろ、こうしろ、あるいはあれはいけない、これはいけないばかりで、禁止と強制から成り立っています。

こういったものは、すべて知が生み出した作為的な行為であって、人間の自然な姿とは言えないのだというわけです。

だから老子は、人間を縛り付けるような知識は捨てさる方がいいといっているのです。

これは道徳経の中に一貫して流れる考え方のひとつですね。

この章では、後半で国を治める場合も、威力は持っていても、人民を傷つけない存在がそれをおこなえばうまくいくのだと語っています。

つまり不干渉がいいのだという考えです。

たとえば、家庭で子どもを教育する場合も、ややもするとこと細かに子どもの行動に口出ししてしまいがちです。

しかし何でもかんでも口出しされると、子どもは「自分で考えてはいけないのだ」というメッセージを受け取るかも知れません。

教育というのは無理矢理押さえ込むことではないはずです。

自発的に行動することを制限された子どもは、その思いをどこかに捨ててしまうわけではありません。

理由はよくわからないまま強要された禁止に、やがていつか自分が力を持ったら仕返しをしてやろうと思い出す可能性もあります。

子どもの自発的な発達を、親は後ろにいて後押ししてあげるのが理想かもしれませんね。

ところで、何事にも潮時というものがあります。

いまはまだ手を出さない方がいいという判断も必要です。

小魚が煮えるのにまかせて手を出さないでいる時間も必要なのです。

何でも今すぐに解決して答えを出さないと我慢できないというのが、昨今の傾向のような気もしますが、時期を待てば無理なことをしなくても、自然に片がつくことだってあるわけです。

ところが何もしないで待っているのは無策だとばかり、なにか手を出そうとするのですが、無理なものは無理なわけで効果がないばかりか、余計に事態を悪化させてしまうかもしれません。

不干渉が、必ずしも無責任な放任ではないのです。

これは、無策ではなく、無為にして為すということなのです。