現代社会と老荘思想(17)

「聖人は腹をこさえる」

多彩な色は人の目をくらませる。

多すぎる音は人の耳をダメにする。

いろんな味が有りすぎる料理は人の味覚を失わせる。

乗馬や狩猟の楽しみは人の心をおかしくしてしまう。

手に入りにくい珍しいものは、人の心を乱し行動を誤らせる。

だから聖人というものは、
ただおなかをいっぱいにすることで満足し、
感覚を楽しませることに気をそらせない。

外側にあるものは全部捨てて、自分の中にあるものを大事にするのだ。

老子道徳経 第十二章

老子の考え方では、目先の成功や名誉に目を奪われて、その結果身を滅ぼしてしまうことが無駄で空しいことだと考えます。

いいかえれば、名誉や成功といった人間がつくりだしたものなど、本質的なものではないから追い求めるようなものでない。

それどころか人の目をくらませてしまうという点で、有害なものだと考えるわけです。

外側のきらびやかなものに惹かれて、本来の自分を忘れてしまうことは、人間の弱さでもあります。

気をつけないと、ついフラフラとその方向に入り込んでしまうものです。

そして、その外側にある社会の常識というのは、時代と共に変化します。

いまの常識で考えれば、「昔は馬鹿なことをやっていたものだ」と思うことがあるでしょう。

しかしそれならば将来においては、いまの私たちが信じている社会常識もとんでもない愚行に映る可能性だってあるわけです。

2500年ほど前に、老子はこれを見抜いていたわけですが、その後時代がどのように変わろうともこのことは相変わらず成り立つようですね。

そんな普遍的でないものに影響されることなく、自分の中の本質的なものに目を向けようということを、「聖人は腹をこさえる」と表現したわけでしょう。


「手に入りにくい珍しいものは、人の心を乱し行動を誤らせる。」

私たちには、競争で人が手に出来ないようなものを獲得できることで、自分の優越感を感じようとする傾向があります。

その習慣が高じると、あまり簡単に手に入るものは素直に受け取らなくなり、苦労して獲得したものの方が価値があると考えるようになってしまいます。

あっけなく手に入ってしまうと価値がないと思うから、すぐに別の課題を探し始めたりするわけで、その結果自分がすでにもっているものの価値がわからなくなるのです。

じつは、何も外側から獲得してこなくても、「自分に必要なものはすでに自分の中に存在するんだ」と腑に落ちれば、世の中はすべて我が世界と思えてくるでしょう。


別のところでは、老子は「知足者富」と表現しています。

足るを知るというのは、いつしか倹約の美徳という面が強調されてきているようですが、自分の本来持っているものを知るというのは、自分の一番良い生かし方を見つけるということにもつながります。

いつの世も「ないものを欲しがる」のが人間の性のようですが、たまには見方を変えて、自分の中にすでにある必要なものを探すということを考えてみてはいかがでしょうか。