目に見えないものは怖い?

福島県から避難してきた子供たちが避難先で「放射能がうつる」といっていじめられたという話がありました。

子供だけでなく、福島から避難してきた人に対して、放射能差別とでも言うべきものが行われ始めているという報道が多く見られます。そもそも「放射能」というのは物理学的な定義でいうと「放射線を出す力」であって、放射能が「うつる」という言葉や、放射能が「来る」などという言葉自体が本来は間違っているのです。

体に悪影響を及ぼすのは放射線を発する放射性物質ですが、この放射性物質にしても、現在の福島の状況からすれば人の体についたものは洗い流せば落ちるレベルですし、ウィルスのように人から人へ伝染するものではありません。

こういった情報は少し調べればすぐにわかることなのですが、マスコミやテレビなどでは放射線の怖さばかりを強調していて、こういった基本的な情報はあまり大きく取り扱おうとしない傾向があるように思います。

なぜ、私たちはこんなに放射線に恐怖を覚えるのでしょうか? 日本は唯一原子力爆弾を使用された国であり、子供の頃に授業などで見た被爆者の映像などがトラウマになっている可能性もありますし、放射線によってガンや白血病になる確率が上がることに恐怖があるということもあるでしょう。しかし、無意味な差別が生まれるほど放射線が怖がられるというのには「目に見えない未知のものへの恐怖」があるように思えてなりません。

例えば「お化け=幽霊」は恐怖の対象として知られています。ホラー映画や恐怖映画などの題材としては普遍的なものと言えるでしょう。これらが怖いのは基本的に目に見えず、物理法則に従わないような行いをするからなのではないでしょうか? 要は「目に見えない未知のものへの恐怖」です。

筆者は仕事がら、霊が見えるという人を何人も知っています。しかし、見える人たちで、過度に霊を怖がっている人に出会ったことがありません。実際に見えている人ほど、普通にあるがままに受け入れている感じで、普通の人と同じように会話したり、害のあるもの以外は放っておいたりというような対応が多いようでした。逆に霊を見たことが無い人のほうが、何だかものすごく怖いもののように思っている人が多いような印象があります。

要は、霊が見える人は、霊がどのようなものなのか、知覚していて対処することができるし、また、それに対する知識があるので、過度に恐れずに対応することができるのだと思います。今回の差別にも同じことが言えるのではないでしょうか?

放射線も放射性物質も肉眼で見ることはできません。そして原子爆弾などのネガティブなイメージがつきまとうものです。それだけに恐怖を募らせてしまうというのは非常に納得できますが、それによって差別される人が生まれてしまうというのは悲しいことです。

神道や仏教では「穢(けが)れ」という概念があります。穢れという概念自体は死や血などといったものを対象とする霊的な思想から来たもののはずですが、それがいつしか差別へと変化していった時代がありました。江戸時代などでは、一番下級の層のことを穢多(えた)と称していたのです。読んで字のごとく「穢れが多い人」ということです。

穢れも目には見えないので、本来の意味から離れていつしか差別の道具へと変わってしまったわけです。近代化が進むにつれてこういった穢れの差別は無くなってきましたが、新しい形で今回差別が生まれようとしています。

目には見えないものを恐れるのは当然ですが、それを詳しく理解することができれば恐れは半減し、ましてや差別の道具に使うなどということは無くなるはずです。情報化社会の現在、少し調べるだけでも、専門家が分かりやすく放射線や放射性物質について解説してくれていますので、恐怖に支配されそうになったらそういった解説をしっかり読むことで、差別などは起こらなくなっていくはずです。