現代社会と老荘思想(9)

「天網恢々、疎にして而も失わず」

あえて断行する時は殺される。
あえてしないでいるときは活かされる。
だけどこれらは、どっちがいいのか悪いのかは簡単には決定できない。

何がやってはいけないことかは、ひとには正確にはわからない。
だから聖人であってもこれを知ることは難しいのだ。

でも自然にしたがって生きていけば、
競争しなくてもうまく勝つことができるし、
あえて言わなくても、ちゃんと理解してもらえる。
自分からわざわざ催促しなくても向こうから来てくれるものだし、
ゆったりと待っていても、うまく計画通りに運んでくれるものだ。

天の網というのは、とても大きなもので、
その網の目は隙間だらけのように見えるけれど、
肝心なことは、決して逃さないように出来ている。

(老子道徳経 第七十三章)

天の網というのは、網の目は隙間だらけのように見えるけれど、肝心なことは決して逃さないように出来ている。
自然にしたがって、あえて人為的に余計なことをしなければ、トラブルに巻き込まれることはないのだと説きます。

競争して自分が一番になろうとする心理はどこから来るものでしょうか。
おそらくそれは、元をたどればまわりの人の注意を惹きつけて、承認してもらいたいという子どもの頃からの願いなのかもしれません。
しかし、そんな本来の願いも、競争に参加することで失われてしまいます。

競争は、他の人に勝たなければならないわけで、そこで人を蹴落としたりするうちに、自分もその対象となる存在にしてしまうのです。
まわりの人達は、自分を承認してくれる存在であると共に、自分に勝とうとして闘いを挑んでくる存在にもなってしまいます。

本来、人と競うような力というのは、自分で能力を磨いていくことで育っていくものですが、競争が頭にあるとどうやって他の人より上に立てるかが先に目について、地道に自分のやるべきことに集中することを忘れてしまいます。

また、競争に勝つには、自分をアピールすることが必要であるという心理につながります。
いかに自分を目立たせるか、また同じ力であっても、どうやってそれ以上に見せかけるかを考え出してしまうわけです。

そんな競争に入り込む生き方をやめて、自然にしたがって生きていけば、競争しなくてもうまく勝つことができるし、あえて言わなくてもちゃんと理解してもらえるのだと、老子は改めて注意を喚起するのです。

「天網恢々、疎にして而も失わず」というと、なんとなく現代では悪人が逃れられないと言う意味合いが強くなってしまいましたが、もともとの意味合いは、信頼していればきっとうまくいくように助けてくれるものだと言っているわけですね。

「自然にしたがえって言ったって、そんなことをしていては競争に取り残されてしまうじゃないか」
そんな恐れから来る言葉が、実際に問題から逃れられない自分を作り出してしまうのだ。
そんな風に思えるのです。

「目先の状況に一喜一憂しないで、大きな流れに乗っているから安心して信頼なさい」と老子は言っているようです。