悟りの世界を感じる期間

明日、9月20日から彼岸(ひがん)の入りです。「暑さ寒さも彼岸まで」など、言葉としてはよく聞くと思いますが、その由来などは意外と知られていないように思います。

今までにもいろいろと暦に関係した行事などを紹介してきましたが、暦は中国から伝来したものが多く、日本独自の行事というのは少数です。彼岸はその少数派ともいえる、日本独自の行事なのです。

彼岸という言葉のもともとの意味はサンスクリット語の「波羅密多(はらみつた)」を漢訳した「至彼岸」から来ているそうです。ざっくりいうとインド語 → 中国語 → 日本語という流れで彼岸という言葉が確立した感じです。

元々がインド語なのに日本独特の行事なの? と思う人もいるかもしれません。彼岸の元々の意味は煩悩に満ちた世界である現世=此岸(しがん)から解脱した悟りの世界ということです。つまり、あちら側という意味で彼方の岸=彼岸というわけです。

このことからもわかるように、本来は悟りの世界、いわゆる涅槃(ねはん)を指す意味だったわけですが、いつの間にか、涅槃を死後の世界と捉えるようになり、それによって先祖霊が住む場所が彼岸であると考えられるようになり、日本独自の行事である「彼岸」が生まれたのです。

彼岸会といわれる仏教行事が初めて執り行われたのは、西暦 806年のこと。秋分と春分を中心とした前後7日間、全国の国分寺で「金剛般若波羅蜜多経」を転読させたと言われています。このお経に彼岸の元となった波羅蜜多が含まれていることがわかります。

7日間も全国でお経が唱えられるということから、国家的な行事だということがわかると思いますが、これは崇道(すどう)天皇の供養のために行われたものなのです。崇道天皇とは早良親王のことを指します。

早良親王というと、長岡京を捨て、平安京を新たにつくる原因となった怨霊として知られる存在です。その強い恨みを晴らすために、天皇としての名前をつけ、7日間の読経によって鎮魂を願ったというのが彼岸の始まりだったのです。

つまり、もともとは祖先の霊を偲ぶようなものではなく、怨霊を鎮めるための国家事業だったわけです。それが、江戸時代あたりからいつしか庶民にも伝わり、先祖供養の日に変わっていったようです。

他にも彼岸の成り立ちについてはいくつか説があり、彼岸とは「日願」であるという説もあります。これは、春分も秋分も太陽の長さが等しくなることから太陽信仰として重要な節目であるため、そのお祭りがあった時期が仏教と習合されて彼岸がうまれたというものです。

現在のお彼岸というとどうしてもお墓参りのイメージが強いと思いますが、早良親王の件からもわかるように、あの世に行けない人たちを導くという意味も含まれています。一説によると、春分や秋分の時期は太陽が真西に沈むために、その方角へ向かうことで浄土へたどり着くことができるとされています。

身近な行事であるお彼岸ですが、こうやってみると日本という国が遙か昔からとてもスピリチュアルな国だったことがわかります。この素晴らしい文化を今後も無くさないように守っていきたいものです。