日本最古の塩

お清めの塩や盛り塩など、日本では塩は穢れ(けがれ)を祓い(はらい)清めるものとして有名。そもそも、日常生活の中では調味料として毎日のように塩は使われています。そんな塩について歴史的な面から、スピリチュアルな面までをシリーズで紹介したいと思います。

第1回目となる今回は日本最古の塩について紹介しましょう。塩は人間の生命を維持するためには欠かせないミネラルを含んでいます。そういったことから日本だけでなく世界中で塩は重要なものとして扱われていました。

塩がいかに重要だったかということを示すのにとても身近な例があります。会社員のことを指すサラリーマンという言葉。これは和製英語であって実際に海外で使われる言葉ではないのですが、これは給料を示す英語である「サラリー」が元になっています。

このサラリーとは、もともとはラテン語の「salarium」という言葉から来ており、その言葉は塩を表す「sal」からの派生なのだそうです。つまり、塩は毎月の給料と同等ぐらいの価値があると古代から考えられていたわけです。一説によると、古代の兵士の給料そのものが「塩」だったという話もありますが、これは歴史的には実証されていないそうです。

さて、そんな風に重要視されていた塩を得るためにはいくつかの方法がありますが、まず知っておいていただきたいことは、世界で作られる塩の半数以上は岩塩を元にしたものだということです。岩塩とは海の一部が地殻変動などで海水の湖となったものが干上がった場所に塩分が結晶化し、そこに土砂が堆積して岩のようになったものです。

日本人のイメージからすると塩は海水から作り出すものなので、塩の生産量の半分以上が岩塩だというのは意外に思われる方が多いのではないでしょうか。なぜ日本では海水から塩を作り出すようになったかというと、単純に日本国内に岩塩が存在しないからなのです。

もちろん、日本以外の国でも海水から塩を作りますが、多くは塩田に海水を引き込み、太陽の熱と風で水分を蒸発させて塩の結晶を作り出すという天日製塩が使われているようです。しかし、基本的に雨が多く多湿の日本ではこの方法も使える場所は限られているので、日本独自の複雑な製塩方法が生み出されたというわけです。

日本で最も古いとされている製塩方法は「藻塩焼き」と呼ばれるもので、この方法は塩椎神(しおつちのかみ)という神様によって作られたとされています。神様によって作られたこの塩には大変なパワーがあり、この塩を使っていた当時の天皇は長寿だったと伝えられています。

しかし、藻塩は製造方法が複雑なために、だんだんより簡単な方法へと変わっていき、最終的にはどのようにして作られていたかも定かではなくなってしまいました。

古事記などに掲載されている内容なのだから、そもそも製法などなかったのでは? と思うかもしれませんが、実際に古墳時代の遺跡から塩を作っていたと思われる土器が発見され、藻塩の研究が開始されました。

土器が発掘されたのが 1984年ですが、そこから 10年以上の研究を重ねた末に、現在知られている藻塩の作り方ともいえる古代土器製塩法が完成しました。それは「古代の塩づくりシンポジウム」で発表され考古学者からのお墨付きも得たというものです。

これがいったいどういう作り方なのかというと、海水に浸したホンダワラという藻を乾燥させ、また海水に浸け…という工程を何度も繰り返します。これによって、塩分濃度が高くなり、なおかつ藻の成分も含まれた水ができます。これを土器で煮詰めることによって塩分が結晶化して塩ができるわけです。

この製法で作られた塩は、通常の塩と違って藻の成分も含まれているために白ではなく、茶褐色になり、味も塩辛いだけでなくまろやかだと言われています。

あくまでこの製法は、現代の人が復活させたものですので、塩椎神が作ったものと全く同じかどうかはわかりませんが、塩が神様から伝えられた、とてもスピリチュアルなものであるということと、そして、古代から人々はさまざまな工夫を重ねて塩を手に入れてきたのだ、ということがわかります。

普段なにげなく口に入れ、目にしている塩。そんな塩についてのエピソードを今後も定期的に紹介していきますので、お楽しみに。