現代社会と老荘思想(8)

「自然な調和を取り戻す」

聡明さなど排除し知識を捨てれば、ひとびとの利益は増加する。
人の道にこだわらず正義を追求しなければ、ひとびとに親子の情愛が戻ってくる。
うまくやろうとか利益を追求しなければ、ひとびとは盗んだり不正を働くようなこともなくなる。
このようなものは、人が作り出した不充分な知恵なのだ。

本来の自分そのままでいればいい。
いろんな色に染まらず、加工されない荒木のままでいること。
必要以上に我をはったり、欲をもたないことだよ。

(老子道徳経 第十九章)

人の道はこうあるべきだとか、よりうまく生きる方法だとか、そんな誰かが決めたことに従おうとしないことです。
それがかえって、別の新たな害悪を作り出してしまうのです。
そういったものにとらわれずに、自分の中にある自然で素直な思いを、取り戻していけばいいのだと思い直してみましょう。

こんなことを言っている章ですね。
実は、この前の第十八章ではこのようにいっています。

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大道廃れて、仁義有り
慧智出でて、大偽有り
六親和せずして、孝慈有り
国家昏乱して、忠臣有り
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昔は自然に道にしたがっていたのに、それがわからなくなったから「仁義」などというものを言い出さないといけなくなってしまったのだ....といった感じですね。

このように、老子は人為的なもの、人が取り決めたルールなどにとらわれることが問題を生みだしているのだと繰り返し説いています。

当時の儒教思想などをやり玉に挙げたのかどうかはわかりませんが、決められたことに自分を押し込もうとすることは、一見立派な人に見せるけれどそんなものは偽物だというわけです。

決まりの中に自分を押し込めてそれを演じても、そこから導き出されるのは、社会に作られた借り物の自分の姿なのです。
同じ教えに帰依しても、それが表現されたときに出てくるのは、その人自身を鏡に映したものであることを発見するでしょう。

そして、そこにあらわれるのは、本来の自分であればまだいいのですが、実は社会に従わなければと戸惑っている作られた自分なのです。

何かの教えに従おうとしている自分、あるいは会社や組織の利益や出世のためにこうあろうとする自分、自分が属する集団から仲間はずれにならないようにと無理している自分、などなど。

自分にどう言い聞かせているかはともかく、そんな社会に作られた自分でいる限り、そこで自分が漠然と期待している幸福は結局かなわないのだよといっているのです。

「最大の効率を上げることを追求する」ことは、科学や企業の利益の観点からはとても素晴らしいことかもしれません。

同じ環境から1グラムでも1リットルでもいいから効率をアップして収穫したいと追求する。
それをめざすのが正しいことだというのが、昨今の誰も振り返るのを忘れてしまった常識です。

その環境から根こそぎ収益を上げてでも、その分で生産力をアップすることを追求してしまうと、本来どれだけのものが本当に必要だったのかは考えなくなってしまいます。

とれるだけとって、作れるだけ作る、そんな発想を反省し始めて環境保全やエコがブームとなっていますが、そういいながらも現在の利益は失いたくないのです。

「現状の満足は維持したい」、それが前提にあったのでは、やはり何でこんなにいっぱい必要なものを抱えてしまったのかという反省は忘れられたままなのです。

資源がなくなっても、効率を上げることでいままでの生産力を確保したいという発想ではなく、ないのならないでその範囲で満足するようにしようという発想へはなかなか切り替わらないのです。

なくなっては困るという前提ではなく、なければないという状態に身を置いてみることで、それが本当に必要なものだったのかどうかも見えて来るでしょう。

「既得権益は失いたくない」それを侵さないことを前提にして社会をいじってみても、何も今までと変わらない社会が繰り返されるだけです。

「こうすればあなたの利益になりますよ」と教えられる社会では、自分では必要のないことまで権利を主張しろと強要されるのです。
「それではあなたは損しますよ」と聞かされ続ければ、欲しくなくても求めるようになり、利益を度外視した発想や心情は後ろに押しやられてしまいます。

目標達成という名目のもとに、欲を持つことを美化し追求し続ければ、それへの反動で行う行為も作られた人に見せるための美談でしかなくなります。

そんなところからは、本当の「孝慈」は生まれてはこない。
利益の追求をそれ自体が目的だと思ってしまえば、何のためにそれを求めているのかはわからなくなります。

本来の自分そのままでいればいい。
いろんな色に染まらず、加工されない荒木のままでいること。
必要以上に我をはったり、欲をもたないことだよ。

そんな自分を取り戻そうよと訴えているのです。