現代社会と老荘思想(7)

「無為によって全てを成し遂げる」

学ぶと知識は毎日増えてくるが、道を修めるなら、逆に毎日知識が減っていくのだ。

減らして減らして、ついに無為の境地にまで行き着く。
そうやって無為にまかせておけば、全てのことが見事に成し遂げられるのだ。

天下を取るのも、特別なことをしなくても、自然にまかせることで得られることなのだ。
なまじっか自分で特別なことをしようとすると、かえって天下は取れないんだよ。

(老子道徳経 第四十八章)

自分が活動するべき時と、非活動でいるべき時のバランスを取ることです。

それには、全てのことを自分でコントロールしようと思わないことです。

なんでも自分でコントロールしようとしてきた自分の、空回りの多い行動を振り返って見ましょう。

自分の手には負えない、まかせるしかないことについて、何とかコントロールする方法があるはずだと探し回ってきました。

それは、ものごとはすべて自分の手で支配しているという思い上がりからだったのではないでしょうか。

正直に認めるなら、どうにも自分では何も出来ないと諦めていることまで何とかしようとしてしまいます。

それは、今までの信念を崩したくないからだったり、諦めてしまったら終わりだという思いがあるのかもしれません。

「諦める事は、負けを認めること」といったどこかで拾ってきた信念を、これこそは譲れないことだとかたくなに守ってきたからです。

今日は、ひとつ自分の力でねじ伏せようとすることをやめてみましょう。

無理に変えようとしなかったら、何が起きるのかを眺めていましょう。

「減らして減らして、ついに無為の境地にまで行き着く。」

そこには何があるのでしょうか。

まわりの世界は、あなたが手を出したことだけで動いているわけではないことを、改めて確かめてみましょう。

世界全体のトータルな動きの中で、自分がそこに参加しているという感覚です。

全てが自分が実行者ではないと考えることで、あなたが行為しないでも自然に流れていく世界を見ることが出来ます。

自然の流れの中に、逆らわずに一緒に動いて行く自分を感じましょう。

逆らわずにまかせてしまうことが、どれだけあなたを解放するものかゆっくりと感じてみましょう。

あなたは全体の動きの中でまかせているのです。

グループで何かをやっている時も、何もかも自分がやろうとしないで、他の人にまかせることがあるでしょう。

それと同じように、あなたがひとりで行為する時にも、自分の番を譲ってトータルな流れに任せてしまうのです。

なにもかも自分でコントロールしようとしないことです。

あなたは自分の行うことには責任を持たねばならないから、まかせることはできないと言うかも知れません。

しかしそんなルールはあなたが生きることには関係のないことです。

決まりがあろうと無かろうと、あなたは全てを意識して行為することなど出来ません。

そもそもあなたは全てを自分でやろうというと言葉では言いながら、それを信じているわけではありません。

やる前に全てを知ることは出来ません。
知らないことを出来ると言い張るあなた、その不自然な力の使い方をよく観察してみれば、そこには恐れが潜んでいることを発見するでしょう。

全ての宇宙を回って見せて、お釈迦様に自分の力を認めさせようとした孫悟空は、実はお釈迦様の手のひらの上から1歩も外には出ていなかったのです。

やっていく中でしか見えてこないことがあります。
その流れに合わせることが無為という行為なのでしょう。

「自分で動くこと」と「まかせること」のバランスを取ることです。