現代社会と老荘思想(1)

私は現在「タオに生きる」というブログで、老荘思想をベースに、こころの問題をテーマにした文章を書いております、pao と申します。
私の老子への関心は、現代人の見失いがちな「こころ」の原点についての老子の考え方にあります。ですから老子についての学問的な内容を書いているわけではなく、この連載についても、そのような視点からの文章としてお読み頂ければと思います。

私は、心理学や心理療法などを勉強してきましたが、そのようなアプローチだけでは解決できない「こころ」の拠り所のようなものを老子の中に感じます。そのような老子の考え方が、現代の社会に生きるわたしたちへのヒントになればと思い、文章を書かせていただいております。

老荘思想は、およそ 2,500年位前の中国で生まれた思想で、老子とそれより少し後の荘子の2人の考え方を指します。
老子の著した書物というのは『老子道徳経』のみです。
道徳経は、上下二編の書物で、全体で八十一章からなりますが、上編の最初が「道」という文字で始まり、下編の最初が「徳」という文字で始まっていることから、「老子道徳経」の名前になったようです。
ですから道徳経といっても、孔子などの儒教思想でいうような、いわゆる道徳を説いたものではありません。
むしろ、老子は至る所で、儒教の思想を毛嫌いし、反発している表現を用いています。
荘子の書籍である『荘子(そうじ)』には、内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇があります。
『荘子』の方は、内篇のみが荘子本人の著書で、他は弟子や後生の人によって書かれたものだろうと見られています。
『荘子』は、『老子道徳経』が簡潔な短い文体であるのに比べて、語数も10倍以上あり壮大な話が多く含まれていて、老子とは対照的な面があります。

老荘思想の中心になるキーワードは「道(タオ)」です。
「道(タオ)」に沿って進んでいくのが、最上の方法であるというのが中心にある思想です。
また「道(タオ)」に沿って生きるとは、「無為自然」に生きることであると考えます。いいかえれば、「無為自然」の逆である「人為」を嫌う思想であるとも言えます。
実は老荘思想というのは、わたしたち日本人にとっても縁のない思想ではありません。これからお話を勧めていく中で「あ、この言葉は老子や荘子の言葉からきたものだったのか」と思われるものも登場してくるかと思います。

初回なので、概論が多くなりましたが、今回は老子の三宝を紹介してみましょう。

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 私は三つの宝を持っていて、それをとても大切にしているのだ。
 一つ目は愛すること(慈)、
 二つ目は倹約すること(倹)、
 三つ目は人の先に立たぬこと(不敢為天下先)
 である。
(老子道徳経 67章 より)
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慈しみの心を忘れずに、仲間に接していれば、人々は自分についてきてくれます。
倹約の心を忘れなければ、無理に自分の力以上のことをしないので、自然に蓄えることが出来るし、余裕を持って他の人に接することが出来ます。
人の先頭に立って、自分が一番だと騒ぎ立てないで、後ろから他の人達の面倒を見るようにしているので、自然に自分がリーダーとしての働きを実現できるのです。

ところが、いまのわたしたちの現実の社会ではどうでしょう。
覇権争いで自分が先頭に立つことに夢中になり、無理をして目立とうとするから、すぐに途中で挫折し続かなくなるのです。また、このような考えを持っていれば、すぐに他の人のことなど考えられなくなり、慈しみの心は忘れ去られてしまいます。

・ 現代社会に生きるわたしたちにとって、競争に参加せずへりくだって
  生きていくことが可能なのかという問題。

・ また、今のような競争しないと自分の存在が危うくなるような強迫観念に
  とらわれた生き方が、いつまでも続くものであるかどうかという問題。

そんな点に対して、何かヒントになればと思いながら、次回以降書いていきたいと思います。