以前、和歌について 紹介しましたが、今回は一人の歌人を紹介したいと思います。

糟谷磯丸(かすやいそまる)は 1764年生まれの江戸時代末期の歌人です。どちらかというと俳句の方が力を持っていた時代に、磯丸が和歌を知ったきっかけは、母の病気が治るようにと毎日お参りに通っていた神社でのことでした。

神社を訪れる人々が、神前に奉納された額に書かれた歌を口ずさむのを聴いて、その魅力に魅せられて、歌の道を志すようになりました。

漁師であった磯丸は当時 30代でしたが、文字の読み書きができませんでした。それにも関わらず歌を詠み続けたことから「無筆の歌詠み」と呼ばれるようになり、漁師を続けながら歌を詠んだことから、漁夫歌人とも呼ばれたりするようになったのです。

その歌は素朴で飾り気がないために多くの人に愛されたということですが、磯丸の歌にはさらに、不思議な力があったと伝えられています。

磯丸はその生涯で数万首の歌を詠んだといわれていますが、その歌の中に「まじない歌(呪禁歌)」という分類があります。

これは病気だった母が磯丸の祈りの甲斐あって全快したり、大火事の時に磯丸の家だけが焼けなかったことなどエピソードから、周囲の人に磯丸の歌には霊力があり、歌を詠んで貰えば災難から救われるという噂がひろまり、病気平癒や安産、家内安全、魔除けなどの歌を磯丸に詠んで貰うようになったことが始まりだそうです。

実際に磯丸の歌には霊力があったようで、死後には「磯丸霊神」として祀られるほどになりました。

たとえ教養がなく、最初は文字が書けなくても和歌の心に通じ真剣に学ぶことで、始祖のスサノオミコトの歌のように霊験を表すことができるようになったわけです。磯丸のエピソードからは和歌の神秘を強く感じることができるように思います。

最後に、「おもふ人とえにしある歌こひけれは(好きな人と縁ができるようにと頼まれて詠んだ歌)」という磯丸の和歌を紹介したいと思います。この歌を思い浮かべたり、自分で読むことで良縁が訪れるかもしれませんよ?

   ねかはくは なほ末かけて ひたち帯

      むすふの神の 恵みまたなん

                 糟谷磯丸